『憲法9条と近代民主主義と軍隊』

  もしも憲法9条がなくなったら、あるいは「有事」に備える法律ができたら、何が変わるのか・・・。 意外に見落とされているのは、民主主義の問題です。 憲法9条は平和主義的条項であるだけでなく、実は日本の民主主義を支えているのではないでしょうか。
そのことを、軍や情報機関のもつ性質から考えてみました。

 『武力で国家を守ろうとするとき、「必然的に」民主主義は失われる。このふたつは両立しない』
こんなことをいえば、次のような問いが返ってくるでしょう。
 世界的にみれば、憲法9条のような条項を持ち、武力を行使しない=軍隊を持たないことを志向している日本のような国は珍しいのであって、 民主主義の国家が武力で自らを守ろうとし、「軍」や「情報機関」を持っているのは、決して珍しい事ではない。 それを敢えて、民主主義と軍とが両立しないというのはどういうことか。これらの国々は、民主主義国家 ではないというのか、と。
 確かに民主主義の国が軍や情報機関を持っていることは珍しくありません。が、それらの国で軍や情報機関が 民主的なルールによって運営されているか、といったらそこは違うのです。

○軍は民主主義の適用を除外されている
 近代国家は、これまで情報機関や軍を、民主主義の免責事項と定めてきました。つまり、この組織の中では 民主主義はなくてもしかたがない、ということです。なぜならこれらは本質的に、秘密主義や命令の絶対 服従を要求される機関であり、民主主義が求めるもの――時間をかけた公開の議論や言論の自由――と 並び立たない物であるからです。

 多くの近代民主主義国家において、軍や情報機関の存在は、民主主義の立場から見れば「必要悪」という解釈に 立った、民主的ルールが適用除外された異質な存在です。ここには、近代民主主義国家のタブーがあります。
 軍事専門家の田岡氏の言葉を借りれば、軍は「合法的殺人機関」であり、情報機関は「合法的犯罪 機関」という事になります。特に後者の方の情報機関に関しては、戦時ではない平時においても、民主主 義社会のルールや一般社会通念を当てはめれば明らかに「犯罪」となるような行為を、外国などで日 々、やっています。
 「恐喝」「盗聴」「拉致」etc。これらは、独裁者の政権の情報機関の話ではなく、立派な民主主義国と されている国家の名の下に行われているのです。これらの行為が免罪されている理由は、それが民主的 なルールとは合わないものであっても、民主主義や国民の暮らしを守る為に必要だという「必要悪」 の認識、[国益]や[勝利]の為ならば、多少のルール除外はやむを得ないという暗黙の了解があるからなのでしょう。

○民主主義の適用除外は社会全体に及ぶ
 それでは、民主主義のルールの適用除外は軍や情報機関の中だけのことで、一般社会は関係ないのでしょうか。
 実は、いま議論になっている「有事(戦時)体制」というのが、普段(平時)においては犯罪となる行為や、秘密主義や命令への服従,迅速な決断といった「軍」や「情 報機関」特有のルールが、一般社会全般にも適用され始める事態なのです。
 今回成立した有事法制は、主に米軍の行動を支援する事を想定して作られています。(場合によっては国外で事が起きた場合でも有事法制を発動できるようにもなって います)
 日本では、軍に代わる国の機関は自衛隊ですから、民間人や民間部門(企業など)は、自 衛隊に協力し、従う事が義務として求められています。有事法制とは軍事力によって国を守る法案の事ですから、有事が発動した際には「軍 事的な価値」が、何よりも尊ばれます。それが社会ルールとして適用されていきます。

 ここで「軍事的な価値」が求めるものとは何なのかという事を検証してみたいと思います。軍事的価値とは、一言か、二言で言うと、「戦いに勝つ事」あるいは「戦 (いくさ)に負けない事」となります。
 「戦いに勝つ」あるいは「戦(いくさ)に負けない」とはまず、「統制の取れた規律的な行動」を集団で取り「相手の機先を制す事。」「相手を出し抜く事。」「作戦内 容を相手に悟らせない事。」こういった行動を取る事が、何よりもポイントとなります。そこでは、情報公開と平等主義に基いて行われる、時間を掛けた長い討論 や、広く人々に知識を行き渡らせて皆で考える、といった民主的な姿勢は、(戦いの邪魔になりますので)重視されません。このような状態が長い期間続けば、民主主 義社会は窒息します。だから多くの場合、有事立法は時限立法とされています。
 しかし、私達がここで注意を払わなければならない点は、時限(期間)を定めるのも、市民ではなく、例えば軍(自衛隊)であり、あるいは情報機関の意向が多く詰まった政 府だという事です。また、先の自衛艦のインド洋派遣に見られたように、期間はアメリカの都合一つで延長になる事も明らかになってきました。
 民主主義が求めるものとは、時間をかけた公開の議論であり、言論の自由です。しかし、軍事的な価値が求めるものは、秘密主義であり、迅速な決断であり、 命令への服従であるのです。両者はこのように両立しがたいのです。

 こう考えてくると、この社会を「有事」を想定する社会にするのかどうかというときに、私たちが思いを馳せ なければならない重要な問題のひとつは、秘密主義や命令への絶対服従を許すのかど うか、といった本質的な問題だといえるでしょう。

○憲法9条をリセットする法案
 憲法9条は、武力を用いることを認めていません。「有事」を想定してそれに備えることを認めていません。 つまり別の見方をすると、民主主義の適用除外が起こることを防いでいるのです。 憲法9条というのは、その性質からいって、情報機関や軍の持つ秘密主義や命令への服従といった要件とぶつかる ように作られているのです。
 大戦後、日本へ9条を持ち込んだアメリカ人が考えたのは、日本が再び、安全保障国家〈軍事国家) になるのを止めたかったのだと思います。そう考えるとこれまで、9条はある程度、有効であったといえます。 しかし、今起きている有事法制の問題は、9条をリセットできる法案を作るということではないでしょうか。 これが許されれば、9条はそのままに置いても実質的に無効にする手段が出てくる事になります。

 すでにブッシュ政権は対テロ戦争に対して「30年戦争」という言葉を使っていて、30年間戦争に備え るシステムの構築を想定しています。当然、アメリカはいつでも自国に協力できる態勢の日本で ある事を願っているでしょう。もちろん多くの人が御存知のように、日本における「個人情報保 護法案」や[有事立法」は、アメリカのこの願いをかなえてやる為のものです。かくも長い期間、戦争 を想定したシステム(安全保障国家体制)をもし、日本に築かれれば、まだヨチヨチ歩きの日本の 民主主義は、腐食し切ってしまうでしょう。

○脅威を想定し、備えることが民主主義を腐食させる
 また、ここで述べておきたいのは、現在のアメリカの戦争中毒状態は、冷戦時代において半世紀にも 及ぶ長い期間、常に全面戦争を想定したシステムを構築し続けた結果なのだという点に思いを馳せま しょう、ということです。つまり、ソ連の脅威に対抗する為の軍備の増強が、リベラル(自由な)言論に支えられ たアメリカの政治制度を腐食させてきたのです。
 同じように、北朝鮮問題の本当の脅威は、北朝鮮ではなく、北へ対抗する為に構築される安全保障システムが、 日本の民主主義を窒息させ、さらには腐食させてしまう事にあるのです。

 冷戦の終わりは、世界とは大変に複雑なものであるという現実を明らかにしてき ました。しかし、極東アジアの情勢はおかしくなってきたのではなく、むしろ、ソ 連や中国の脅威が減った事により危機が小さくなってきているのです。台湾や中国 は経済上の今や重要なパートナーでもあります。
 ただし、このような極東アジアの沈静化には条件があります。アメリカが脅威をこの地域に持ち 込まない、ということが前提です。 アメリカが北朝鮮を脅威として受け止め、攻撃を辞さない対象 に選べばこの地域の不安定化は免れません。
 沖縄の予算の半分のGDPの国に(かくも小さな国に)対抗する為に武力行使のへの道筋をつけ、 有事立法や個人情報保護法案を組み、それらを発動させ・・・、そうなっていって良いのでしょうか。 それこそ言論の自由や民主主義といった日本人最大の国益を損ねる事態となっていくと思うのです。

○北朝鮮を「脅威」だといいたい本当の理由
 アジアの心ある安全保障の専門家達は、北朝鮮が日本に攻め入るなどとは思っていません。 韓国は、北が攻撃的な行動を発動すれば最も危険な立場にある国ですが(この国は KCIAという情報機関をフルに使って北朝鮮の行動を監視していますが)、その国は北が日本 を攻める、あるいは自国を攻めるなどとは思っていませんし、その政府は北朝鮮に対 するもっとも有効な対処法は太陽政策路線だと言っているのです。
 このような選択肢を日本もカードとして持っているにもかかわらず、リスクの大きな武力 行使に踏み切るという愚考を押し進めるのでしょうか?であるならば、推し進める側におい て何か別の狙いがあるのだ、と疑ってかかるべきでなのでしょう。
 それについても最後に少し、述べてみます。

 現在、世界のほとんどの国と国は経済上のパートナーであり、相互依存の関係にますます移行して いっています。すでに世界には外部と呼べる地域は減ってきています。その中で日本国内では経済 の長期停滞から、社会保障や福祉の切り下げが始まり治安も悪くなってきている。これまでの豊か な暮らしを維持していくことは、難しくなってきています。また、世界は難民で溢れ返り、その数 は日増しに増え続けています。難民の数は現在一億2000万人に達しているそうです。これは、日本 の総人口とほぼ同じ数です。
 このような世界状況の中で国民国家の統治者や管理者達は、セキュリティこそ国民国家の最後の 砦であるという考えに至っているようです。また国民の側でも『この暮らしは守りたい。変化を起 したくない』というような暗黙の了解が、まだまだあるのだと思います。国の統治者たちはこうい う状態が極限に達した段階で、国民国家の意義や意味が変容してしまうという強い不安を抱いてい ます。(具体的に言うと、日本の施政者達は、北朝鮮から難民が押し寄せてくるというような事態 を非常に警戒しています。)彼らの中には、国民の共同体が『平和的』に存続するためには、常 に外部をつくらなければならないんだとも言っている人たちもいます。

○アジアの安定化のために、アメリカの政策ではなく憲法9条を
 冷戦後の大変に複雑な世界情勢の中で、日本が世界のそれぞれの国々と、時には距離を取 り、時には近付き、交渉のない国とは(北朝鮮のような国)交渉を取り付ける事からまず始める。 主張するところは主張し、引くところは引く。いくつもの国と国とがせめぎ合う関係の中で、 例えば地域の安定のために、どのような現実的な提案を日本は用意できるのか――。
 こういう緩急自在の関係を、アジアの中であるいは世界の中で築いていく事は、実は日本が最も 苦手とする事であり、やりたくない事でもあるのです。 なぜなら、そのノウハウを日本は持っていないから。
 これがもし、アメリカの政策に組み込まれた形で、アメリカが北朝鮮(中国も)を仮想敵国として 想定してくれると、冷戦のままの構造がそのまま日本の周辺と日本国内で保たれ継続できる という状態になり、日本は一番厄介で複雑な作業をしないままでいられることになります。
 しかし、本当にこれでいいのでしょうか。アジア地域の安定の為には、日本が役割を持つ事や それを実行に移す事が必須であり、アジアの多くの国も実はそれを待ち望んでいるのです。 そしてそのように築いていく安定の中にしか、これからの日本の安定はないのです。もちろん、 それを軍事力で果たすというのは、答えとして、最悪のものです。

 アジア地域の安定化のためノウハウの希薄な今の日本に、何ができるのか、その道具と呼べるよう な物が今の日本にあるのか? この問いへの答えとして実は最も近い所にあるものが、 平和憲法なのではないか、と思います。