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ブラジルの産業
PRODUCOES BRASILEIRAS


[産業] [農業] [工業の発展]
[石油と石油化学製品] [アルコール] [電力発電] [近代産業] [航空機産業]



産業

 ブラジルは広い国土と豊かな土地を生かして従来農業および畜産業を主産業としてきましたが、一方では鉱山にも多く恵まれたため、鉄鉱石やその他の鉱業産物の生産も大きく、さらに多くのヨーロッパ人移住者の人材にも恵まれ、製造業も古くから盛んでした。 これが現在にいたり工業が大きな飛躍を遂げ、ブラジルの主要産業は、飛行機や自動車などの生産を中心とした製造業が農牧業を追い越してしまっています。特に宇宙開発などのハイテク産業も世界的に大きな存在となってきています。そしてあまり知られていない製品では戦車やミサイルなどの軍事産業品が世界中に売れています。

 また依然と重要な地位を占める農牧業でも以前は沿岸地帯とその隣接地域で綿花、タバコ、カカオ、サトウキビなどが盛んで、南部のサンパウロ州やパラナ州などでコーヒー栽培が盛んだでしたが、近年では大豆やその他の穀物が主体になり、特に大豆は世界一の生産国となりました。



農 業


 植民地時代初期から、農業はブラジル経済の中心的な存在でした。プランテーション農業により、ブラジルは世界経済と結びついてきました。この農業経済の基礎は、単一の輸出用作物を栽培する大規模農地であり、その生産には奴隷の労働力が使われていました。16世紀のサトウキビ栽培に始まり、「爆発的なブーム」となった後衰退していく農業サイクルが綿花、ココア、ゴムそしてコーヒーに見られました。

 1970年代に入り、輸出農産品の数は全般的に増加していきました。大豆による収益は、コーヒーやココア、サトウキビなどの伝統的産品を凌ぐまでに至りました。半加工品や加工品の量も種類も増え、また、その輸出額も増加していきました。これは、農作物より加工品の生産を奨励した政府の政策によるものです。

 1980年代の農業は、ブラジル経済において重要な役割を担っていましたが、かつてのサトウキビやコーヒー、ゴムのように、単一作物が経済を左右するようなことはありませんでした。連邦政府は、財政措置や特別信用供与を計ることにより、農村地域の生産性の向上を強力に押し進めました。更に、農村部から都市部への人口の流出を抑制するため、社会福祉の均等、農地改革計画の策定、従来の非生産的な小規模耕作地の活性化、そして、遠隔地の生活向上のための政策を実施しました。その結果、1980年から1992年の農作物生産量は、人口増加率(26%)よりも急激な伸び(38%)を示し、農作物の国内供給が増えただけでなく、輸出も増加しています。

 1990年代に入っても、ブラジルは、世界最大のコーヒーと砂糖(サトウキビから精製)の生産国としての地位を維持していました。また、ココア生産は世界第2位、タバコ栽培は世界第4位、そして、綿花栽培は世界第6位となりました。この20年間、農作物の多様化を促進する様々な計画が実施され、大いなる成果を上げました。例えば、小麦、米、トウモロコシ、特に大豆などの穀類の生産は一貫して伸びています。林産物、すなわち、ブラジル・ナッツ、カシュー、ロウ、繊維、特にゴム(かつてはブラジルの重要な輸出品であった)は、そのほとんどが裁植耕作により生産されており、以前のように天然林から採取されることは少なくなりました。果物に関しては、ブラジルの多様な気候帯により、ほとんど全種類を栽培することができます。北部では熱帯の果物(様々なナッツやアボカド)が、そして、南部の温暖な地域では柑橘類やブドウが栽培されています。1992年には、ブラジルのオレンジの83.6%が濃縮ジュースとして輸出され、15億ドルの収益を上げました。また、ブラジルは世界第4位の牛肉生産国であり、輸出においては世界第5位である。



工業の発展


 ブラジルの工業は、この20年間、めざましい発展を遂げてきました。輸入代替のための工業化がピークに達した1947年から1960年にかけて、工業は著しく拡大していきました。しかし、1960年以降は、既存の経済的基盤が工業の発展に追いつかず、工業化のペースは次第に鈍化していっています。

 1964年以降、連邦政府は、このような障害を取り除き、国営企業と民間企業の両方を活性化させる経済環境を築くための包括的な経済政策を実施しました。その結果、この25年間、工業製品と消費財の生産は拡大し、多様化していっています。更に、技術的に高度な産業、特に電気通信、電子データ処理、バイオテクノロジー、そして新素材の分野が確立されました。また、鉄鋼、自動車、石油化学、公益事業の4大基幹産業は、工業の発展だけでなく、ブラジル経済全体の拡大に重要な役目を果たしました。

石油と石油化学製品

 1953年以前のブラジルの原油生産高は日産約2,000バレルに過ぎず、国内の精製能力はその2倍程でしかなかったため、大半を輸入に依存せざるを得ませんでした。1953年、たび重なる討議の末、石油公社ペトロブラスを設立する法案が国会により可決されました。油田開発と生産の独占権を与えられたペトロブラスは、早速、商業ベースにのせることができる油田の調査に取りかかり、やがて、収益力のある大企業へと成長しています。一方、民間企業は精製と販売の段階での参画が許されました。1970年代の第一次オイル・ショック後の増産政策により、1990年代前半にはブラジルの原油生産高は3倍以上となり(自給率は約50%)、また、精製も全て国内でできるようになりました。1997年12月には、一日あたりの生産量としては過去最大規模の1,008,154バレルを記録しています。

 1970年代の第一次オイル・ショック後の増産政策により、1990年代前半にはブラジルの原油生産高は3倍以上となり(自給率は約50%)、また、精製も全て国内でできるようになりました。1997年12月には、一日あたりの生産量としては過去最大規模の1,008,154バレルを記録しています。

エタノール工業(アルコール)

 ブラジルの石油消費と原油生産のバランスをとるために、1960年代後半から1970年代前半にかけて、石油代替燃料の研究が行なわれました。その結果、サトウキビから抽出されたエタノールが選ばれ、ガソリンに代れる燃料としてのエタノールの使用、及び、工業用エタノールの増産をうたった国家アルコール計画(PROALCOOL)が1975年に策定されました。

 国家アルコール計画が施行されてから10年間、つまり1985年までに、約65億ドルが投資され、130億ガロン(約500億リットル)のエタノールが生産されました。また、約50万人分の仕事が新たに生み出され、250万台の自動車がアルコール燃料使用車となっています。ブラジルのガソリン・スタンドの全てのガソリンには、エタノールが20%混合されています。

 ブラジルは、今では、年間40億ガロン(約160億リットル)のエタノール生産を維持できる技術と設備を有しています。また、石油関連技術、設備、そしてサービスを輸出することも可能です。更に、国家アルコール計画は自動車から排出される一酸化炭素を激減させることにより、ブラジルが取り組んでいる環境保護にも貢献しています。国産の乗用車にはアルコール燃料を使用するものが多くあります。

電力発電

 ブラジルは推定2億5千5百万キロワット(世界最大)の発電能力を有する程の水力資源に恵まれている反面、大きな炭田がない(最近まで油田の開発もされていなかった)ことから、ブラジルは急成長する経済による電力需要を満たすために、大規模なダム建設に力を入れてきました。最初の水力発電所は1889年に稼働し、250キロワットを発電していたが、これは火力発電の半分にすぎませんでした。それから1世紀が経ち、水力発電の電力量の45,871メガワット(MW)に対して、火力発電の電力量は7、295MWと、比率は6.28対1に逆転している。

 1962年におけるブラジルの発電能力は580万kWであったが、1964年には680万kW、1974年には1,760万kW、更に1985年には3,730万kW(イタイプ発電所の8つのタービンがフル稼働状態)まで増加しています。

 世界最大の水力発電所であるイタイプ発電所は、イグアスの滝からさほど遠くない、パラグアイとブラジルの国境のパラナ川に建設されています。パラグアイ政府とブラジル政府の共同プロジェクトで、イタイプ条約は1966年に調印され、1970年代半ばから建設が始まりました。そして、1985年には、18基あるタービンのうちの3基(700MW/1基)が稼働しました。今では18基全てが稼働しており、イタイプ発電所が供給する1,260万kWの電力は、パラグアイとブラジルの両国の間で均等に分配されています。このプロジェクトは、パラグアイ全土と、ブラジルの南東部、中西部、そして南部の将来に多大な影響を与えています。

 イタイプ発電所の他に、アマゾン河流域の南東部に建設されているツクルイダムも現在390万kWを発電しており、プロジェクト完了後には更に770万kWの追加が計画されています。

近代産業

 ブラジルの代表的な近代産業は、自動車製造と自動車部品生産です。この2つの産業は、ここ30年間に急速な発展を遂げてきました。1957年の組立工場から始まり、今では、年平均180万台もの完全な国産車を生産するまでに成長しました。ブラジルは世界第8位の自動車生産国であり、設計の一部も国内で行なっています。

航空機産業

 1899年、つまり、ライト兄弟がノース・カロライナ州のキティ・ホークで動力飛行に成功した年の4年前、ブラジル人のアルベルト・サントス・デュモンは飛行船を操縦し、フランスの飛行クラブを飛び立ってエッフェル塔を一周するという、時間にして29.5分間、距離にして11キロほどの飛行を成し遂げました。そして1906年には、公式な立会人とパリの大観衆の前で、彼は動力飛行機を250メートル操縦することに成功し、タカ・アークディーコン(Taca Archdeacon)賞に輝いたのでした。

 このように、ブラジル人は航空分野のパイオニアの1人でしたが、航空機産業がブラジルで本格化したのは、今からほんの20年前のことです。今日では、ブラジル国内で航空機の設計と製造が行なわれ(主にブラジル航空会社(EMBRAER)による)、様々な国に輸出されています。ブラジルの航空機産業は、世界第6位になるまでに成長しました。ブラジル航空会社製の航空機の大部分が、アメリカや西ヨーロッパに輸出されており、ターボプロップ・エンジン付きの高性能練習機「トゥカーノ」は、ブラジル空軍の他、海外12カ国の空軍で採用されています。

 ブラジルの航空宇宙産業も、めざましい成長を遂げています。近い将来、ブラジル国内で設計され製造された推進ロケットにより、ブラジル製通信衛星が静止軌道に打ち上げられる日が来るでしょう。



参考資料:在日ブラジル大使館資料:ブラジルについて、国際協力事業団ブラジル事務所/業務概要(2000.4)、交通公社ポケットガイド/ブラジル、シグナス出版/ 大自然の楽園ブラジルへようこそ(1999)


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