39. 悲劇の領袖渡辺美智雄
自民党渡辺派の領袖渡辺美智雄。彼は自民党第四世代最後の一人である。安部晋太郎は既に鬼籍に入り、
竹下登、宮沢喜一は既に総理大臣になった。彼以後の自民党総裁候補は、河野洋平、橋本龍太郎、
加藤紘一、森喜郎ら自民党第五世代に入る。
彼は自民党の総裁になるためのステップを全て踏んできた。閣僚歴は副総理、蔵相、通産相、外相、厚相、
農水相と輝かしい。資金集めに長け、多くの業界に影響力を持ち、子分となる国会議員を多く養ってきた。
そして、中曽根康弘に指名されて、中曽根派を受け継ぎ渡辺派の領袖となった。総理になるには文句のない
キャリアである。
ところが、さああとは総理だ、という時に自民党は政権を失った。不運と言ってこれほどの不運は
なかろう。自民党が政権を失うなど、彼の発想からすれば想像の外にあった。しかも、他日を期して、
立候補した自民党総裁は新自由クラブからの出戻りである河野洋平にもっていかれた。
普通であれば、輝かしい閣僚歴を誇る渡辺が、出戻りで科学技術庁長官や官房長官といった
大臣より一段落ちの閣僚しか経験したことのない河野に負けるわけがない。時代の流れとしか言いよう
がなかった。時代が自分を置き去りにしようとしている。渡辺はこのことを実感しあせっていた。
しかもあせる理由は他にも有る。必死に秘密にしてはいたが渡辺は既にガンに冒されていた。
彼には時間がなかった。
そこに小沢からの接触があった。小沢の言いようはずばり、渡辺派を引き連れ自民党を脱党して
くれたら貴方を総理に担ぐ、と言うものだった。渡辺は自分に残された時間がないことを知っていた。
自民党にいて総理になるには、二年後の総裁選に勝ってしかも、総選挙で野党連合に勝つ必要がある。
病が日に日に体を蝕んでいることを実感していた渡辺にとってはあまりに時間がかかりすぎる作業だった。
渡辺は脱党を決断し、その準備に入った。実は渡辺は今日この事態有るを想定して布石を打っていた。
細川政権ができて以来、自民党を脱党した若手議員は多い。その中で柿沢弘治、新井将敬、石破茂など、
彼らは政治改革推進派であると同時に渡辺美智雄の直系である。彼らの究極の目的は渡辺を非自民政権の
首班にすることだった。政治改革に表向き反対していた渡辺だったが、政治改革賛成派の若手議員とも
資金や選挙支援を通じてつながり維持していたのである。
渡辺の意を受け自民党内の脱党議員の取りまとめに動いたの山崎拓だった。渡辺派には、中曽根系の
長老議員がかなりいる。彼らは脱党反対である。彼らはこの動きを察知して騒ぎ出した。山崎から連絡が
入った。騒ぎが大きくなると動きがとれなくなると言うものだ。渡辺は急がなければならないことを
悟る。
細川首相が辞任発表をする二日前、渡辺は小沢と極秘会談を持った。渡辺は小沢にこの席で脱党の意を
伝え、明日正式に連絡し、脱党の日時、人数を教えると小沢に言った。しかし、小沢は今日中に正式な
返事が欲しいとせっついた。というのも小沢には小沢の事情があったからだ。小沢は今回の首相辞任、
渡辺美智雄担ぎ出しの目論見を、新生党党首で副総理の羽田孜に伝えていなかった。
その羽田は外遊で当時日本を離れていて、帰ってくるのが明日の午後でだったのだ。羽田は確かに小沢を
信頼していたが、総理になるチャンスを一度細川に譲っている。だから次こそは自分が総理だと思っていた。
それが渡辺を首班に担ぐと知れば、何を言い出すかわからないと言う危惧が小沢にはあった。羽田の温和な
性格は評判が高いが、総理の地位がかかればどうかわからない、ということである。
しかし、渡辺はまだその時点で準備ができていなかった。そこで小沢に無理に頼みこんで返事
を明日にのばしてもらったのである。あとから考えれば、これが渡辺の運命の岐路であった。
その夜自宅に帰った渡辺はすっかり消耗しきっていた。病身をおして、人生最後の大勝負をかけようと
奔走しているのである。体が耐え切れず、体調が著しく悪化していた。主治医でもある渡辺の娘はあまり
渡辺の体調が悪いので精神安定剤と栄養剤を渡辺に射った。おかげで渡辺はぐっすりと寝入ってしまい、
次の日も目を覚まさなかった。
次の日の午前、小沢は渡辺の電話を首を長くして待っていた。しかし、渡辺は寝入っているわけだから、
電話などできるわけがなかった。いつまで待ってもこない電話に業を煮やした小沢は、渡辺が降りたと
判断し、羽田内閣を作ることを決断する。
次の日目を覚ました渡辺は慌てて小沢に電話を入れたが、小沢の返事は「もう遅いです」であった。
渡辺はことが終わったことを悟った。渡辺が総理になる最後の機会はこうして失われた。一年後渡辺は
自民党総裁に橋本を推した。そしてその数日後ガンによりこの世を去った。
次回予告 「非自民連立の融解」(羽田内閣成立、しかしそれは少数内閣だった)
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