竹ノ内真之介 愛の日記



プロフィール


竹ノ内真之介 年齢40代  

職業  法律関係

学歴  某大学大学院

資格  弁理士、司法書士、特殊情報処理検定、英検1級、そろばん検定5段

血液型 内緒だよ〜ん

出身地 ご想像にお任せします

家族 妻子持ち 娘3人 愛人3人


趣味 アニメ、女遊び、声優ファン、大酒飲み、映画鑑賞、音楽鑑賞、ゴルフ

主義 ロリータ、マザコン

好きなアニメ 魔法少女物




目録だよ〜ん

 女好きは最高! やっぱ女の子は良いよねぇ
可愛い女の子を見てると生きてるって実感が湧くよ。

 10代の女の子を見てると、愛しい娘の昔のように愛しく感じます。
10代の女の子は可愛いよねぇ〜
 


 仕事はつまんない

 私は法律関係の仕事をやってますが
あまりにも神経をすり減らしすぎて、気を失いかけることも度々でした。
 唯一の楽しみはセクハラでした、女子社員の体を触って部長変態と言われてましたね。
結局その女子社員は私の妻になってくれました。
 縁って分からないものですねぇ、こんな些細な出来事から愛が芽生えて結婚までこぎつけたんですから。


 女性声優は妻の変わりだ

 私は妻に愛そう尽かされて、妻に相手してもらえませんでした
そこで30代と40代の女性声優を妻に見立てて声を聞きながら
声優さんの名前を妻の名前のように呼んでいました。
 孤独な夕食も度々取っていました。



 断酒と闘病生活

 私は大酒のみで一月に100万ほど酒代で消えた頃もありました。
毎日滝のように雪崩れ込んだ酒がとうとう病を引き起こしました。
 病名は肝硬変と糖尿病です、今まで私は好きな酒をガブついた生活してましたが。
そのときから好きな酒も飲めなくて、虚しい人生に変わりました。
 食事も制限され好きな物もろくに食えないでどれ程嘆いたことでしょうか。
あのころは病室で自殺未遂までして看護婦さんに止められました。
 そのときは看護婦さんを恨みましたが今は感謝してます。
いまも闘病生活を送っており、食事制限は続いてます。



 愛人と極秘生活

 私は女癖が悪く、妻から度々離婚を宣告されてきましたが、今も妻と生活しています。
バブルの頃は私は仕事が捗りすぎて、あまった金でクラブとキャバクラに入り浸りでした。
 クラブのママに当時は何千万を貢いだ物でしょうか、今となれば覚えていません。

 ホステスを愛人にしては、ラブホテルで過ごす日々が続いていて
妻には仕事が忙しいと浮気をごまかしていましたが、妻にはばれていました。
 妻は実家に里帰りしており家では幼い我が娘が取り残され娘が泣き叫んでいました。
「お父さんお母さんはどこ行ったの?」と娘に聞かれて私はとっさの嘘をついてました。
「お母さんは買い物が忙しいから止まっているんだよ」と言ったのです。

 そのときの私は性病を患ってる事もしるすべがありませんでした。
突然体に不調を来しだし、救急車で運ばれて医師に性病が発病していると宣告され
恥ずかしい治療生活が始まりました。
 愛人は見舞いに来てくれましたが、妻が見舞いに来てくれません。
妻も私に見切りをつけて、新しい人生を歩むのだと絶望感を味わいました。
 結局退院まで妻は見舞いにも来てくれませんでした。

 今まで仕事と女遊びの日々を送っていた私ですがこの入院がその生活から
皮肉にも解放してくれたのです。
 今まで失った物の大きさが私の心にひしひしと締め付けてきました。



 愛しい娘との愛の日記

 我が娘も結婚して、私の元を離れてゆきましたが
今も娘と過ごした二十数年間は、私の愛しい記憶です。
 あのころは良かったなぁ、可愛い娘がいつもお父さんと私に懐いてくれて
いつも一緒にお風呂に入ってました。
 寝るときも娘と一緒に寝て、可愛い娘の寝顔を見ることが私の生涯の生きがいでした。

 私が職務上横領罪で逮捕されたときは愛娘が身元引受人として来てくれました。
「お父さん今度は何をしたの?」と可愛い娘に聞かれて私もとまどいました。


 結婚式で、おとうさ〜ん子供時代から育ててくれてありがとうと愛娘が
私の元を離れ今は結婚相手へ嫁いでゆきました。
 さすがの私も愛娘の花嫁姿には涙しました、可愛い娘が巣立ってゆくその瞬間私は
泣き叫びました。

 最期に愛しい娘よありがとう〜 
この私に愛しい時間をプレゼントしてくれて。