『日本の奇襲攻撃計画のすべてを、アメリカは知っていた!』
アメリカ第32代大統領、フランクリン・D・ルーズベルトは、真珠湾襲撃についての一部始終をはじめから知っていながら、そのことをハワイの軍司令官には通告しなかった。なぜならヒトラーをワナにかけ、ドイツ側に宣戦布告させるためには、まずアメリカが「襲撃を受ける」必要があったからだ。当時、アメリカでは世論も連邦議会もヨーロッパの戦争への参戦には真っ向から反対していた。つまり「奇襲攻撃を受ける」ことこそが、参戦への「裏口」であったというわけだ
ルーズベルトは次のような手段を用いて、パール・ハーバーの軍司令官たちを欺いた。
「12月。真夜中の凍てつくような暗闇の中、英国からの使節が車に乗せられ、人気のないワシントンの通りを急いだ。彼は『米大統領親展、最重要緊急機密事項』との文字が記された、極秘メッセージを封印した外交用郵袋を携えていた。中にはロンドンにある英国海軍本部からの最重要メッセージ、「12月7日にパール・ハーバーが奇襲攻撃を受ける」との情報が入っていた。ハリファックス卿はすぐにホワイトハウスに招じ入れられ、フランクリン・ルーズベルトと会談した。ルーズベルトの希望は高まった。長い間あたためていた計画がまさに今、現実のものになろうとしているのだ。それは1941年12月5日のことであった。」
「まえがき」より
本書は、アメリカが日本艦隊の暗号コードをパール・ハーバー以前に解読していたという動かすことのできない証拠を突きつけるもので、修正主義派の決定版と言える。パール・ハーバーについての既刊本と比べ、はるかに新しい文書、これまで明かされることのなかった、より重要な機密文書(公表されることはないと考えられてきた文書も含む)を掲載し、第二次世界大戦へ突入する原因を作った近代における最重要国家犯罪、歴史を塗り替える事件についての真相を解き明かす一冊である。このために3千万人を越える人命が奪われ、15兆ドル強が費やされ、信じられないような被害を被り、軍事面、科学面、技術面、産業面においても余波をもたらした。それどころか、人類の滅亡につながる可能性さえあったのだ
「ウィリーの本は、その徹底的な調査こそが魅力だ。本書にはパール・ハーバー以前に解読された日本軍の暗号数百通、日本軍の主要なコードブックからの実例、12月7日の惨事へ導いた罪の証拠となるアメリカ海軍メモや外交メモ・・・などが記載されている。」
書評より
以下、本文より
アメリカは、イギリス、オランダ、オーストラリア、ペルー、ソビエトなどの政府から、パール・ハーバーへの奇襲計画についての警告を受けていた。日本軍の重要な暗号はすべて解読されていた。ルーズベルトやマーシャルらは奇襲計画を承知の上で、それを容認し、隠蔽したのだ。
ルーズベルトは厳粛に、そして繰り返し、アメリカ国民にこう約束していた。「あなた方の息子を外国の戦争に送り出すようなことは決してしない、アメリカが襲撃されない限りは。」彼はこの約束を破ることなど何とも思っていなかった。彼が恐れていたのは、これを破ることによって自分の政治的立場が危ぶまれるという、その一点だけだった。ホワイトハウスのお気に入りであった政治ジャーナリスト、オルソップおよびキントナーは近年、こう記している。「彼(ルーズベルト)は国民への約束をおおっぴらに破ることはできないと思っている。しかしうまい抜け道を見つけることはできる。」そしてその抜け道とは、ドイツの方から先にアメリカに攻撃させることだった。そうすれば反撃することができる。しかし彼は11月の時点で、ドイツ軍が先制攻撃をしかけてくる可能性がないことを悟った。ところがルーズベルトは、日本軍にならアメリカを襲撃させることができるとわかっていたのだ。
もし日本艦隊が滅ぼされるようなことになれば、目的は遂げられない。そうなればヒトラーにとって、宣戦布告は明らかに自滅につながるからだ。それだけはなんとしても避けなければならない。計画を実現させるには、日本軍が襲撃に成功するしかない。日本との戦いで弱体化したアメリカを見せつければ、ドイツを宣戦布告させることができる。それはすべてワナだったのだ。ルーズベルトの目には日本など入っていなかった。彼が狙っていたのはヒトラーだった。彼の究極の目的は、愛するソビエトを守ることだったのだ。
当時のFBI長官、J・エドガー・フーバーは1942年初頭、ルーズベルトは41年初秋からパール・ハーバー計画について知っていたと友人に語った。あのような計画を考え出すということは、いかにもルーズベルトのやりそうなことだった。ルーズベルトが倫理的な見解をまったく持たないことについて、アメリカ上院は非難していた。また米国の著名なジャーナリスト、ウォルター・リップマンはこう記している。「彼の目的はシンプルなものではなかった、そして彼のやり方は回りくどいものだった。」
なぜ政府は艦隊襲撃の暗号メッセージ、12月7日以前に解読されたJN-25のメッセージを公表しようとしないのだろう。JN-25Bを隠すことは、国家の安全保障とは何ら関係ない。これは取るに足らぬ19世紀の暗号コードで、その解読技術は既に1931年に世界じゅうに公表されていた。またアメリカ政府はJN-25Bを解読し、それがミッドウェー海戦、つまりパール・ハーバーの7ヶ月後に起こった戦争を勝利に導いたことについては、誇らしげに公表したのだ。要するに、コード自体にも、その解読にも、それを解読したという事実にも、国家の安全保障に関わる意味や性質など何もないのだ。パープル・コードの解読文と、JN-25の解読文の間の違いは何なのか。答えは簡単だ。JN-25のメッセージにはパール・ハーバー襲撃作戦についての詳細な最終計画が含まれていたが、パープル・コードにはそれがなかった、ということだ。
なぜ政府は真実を公表しようとしないのだろう。このような隠蔽は政府への不信感を募らせるだけだというのに。いまだに隠蔽されているものは、JN-25の解読文と、アメリカとイギリスが日本軍のパール・ハーバーへの奇襲攻撃の一部始終をずっと追跡していたということを示すワークシートだ。これはスキャンダル以外のなにものでもない。だからこそトップシークレットなのだ。これは国家安全保障局(NSA)が反逆罪の事後共犯であるのではないかという問題を明るみに出す事実である。
しかし、アメリカ政府がJN-25Bのメッセージ解読能力を持っていたということをNSAが隠蔽しているというその事実自体が、とりもなおさず政府が大きな罪を犯したことを物語っている。
NSAはJN-25文書の量について組織ぐるみで虚偽の証言を行ってきた。1941年11月から12月初頭にかけて送られたJN-25メッセージの解読文書の4分の1以上が、今なお隠蔽されているのだ。真実を明かさず、法にも従わないという点に於いて、NSAはゲシュタポと同類であると言える。我々はジョージ・オーウェルの著した『1984』に描かれている全体主義的社会に生きているというわけだ。反逆罪がたたえられ、ルーズベルトが無垢な若者を何千人も殺害したことが善とされる社会なのだから。一言で言うと、アメリカは我々が非難する独裁国家と何ら変わりはない、ということだ。自治国家の国民ならば、真実を知り、適切な判断を下す権利がある。NSAは真実を覆すことによって、民主主義を破滅させているのだ。
『過去を管理する者は、未来を管理する。現在を管理する者は、過去を管理する。』
--ジョージ・オーウェル
ルーズベルトは日本をアメリカとの戦争に巧みに引き込んだ反逆者である。しかも政府はそれを黙認している。ルーズベルトはアメリカ人の命を犠牲にし、アメリカを危険にさらし、連邦議会の合憲的な権力を不法に利用した反逆者だ。A
date which will live in infamy.『汚名のうちに生きる日』(*ルーズベルトの言葉。12月7日のことを指す)とはよく言ったものだ。実際、彼はこの言葉にまさに隠れた二重の意味をもたせて用いたのだ。襲撃の4日前には、ルーズベルトは自らが「死の判断を下した」海兵隊員の遺族に弔電を送ることができたというわけだ。国家の安全保障という見え透いた偽りの言い訳を楯に、今なお真実が隠蔽されているということは、政府がいまだに半世紀前に起きた真実に直面することができないということを証明している。
我々がすべてを明らかにしなければ、我々はパール・ハーバーの犠牲となった兵士、そして自国のために命を捧げたすべての兵士の名を汚すことになるのだ。彼らの命が反逆の犠牲となったのであれば、彼らの死をむだにしないためにも、そのことを我々が認識する必要がある。
第二次世界大戦へ突入することとなった歴史的背景を、1904年の日本軍によるロシア艦隊奇襲攻撃から、年表形式で詳細に順を追って述べている。
(「背景」からの抜粋)
1941年6月23日:同年同月22日にドイツが不可侵条約を破ってソ連に侵攻。それを受け、翌23日に大統領顧問ハロルド・イッキーズはルーズベルトにメモを書いた。「日本への石油の通商を禁止することで、参戦への道を可能とする状況を生み出すことができるでしょう。しかも効果的な方法で、簡単に参戦することができるでしょう。その上、このように間接的な形で参戦することによって、共産国ロシアとの同盟を結んだという批判を避けることもできます。」
1941年7月25日:ルーズベルトはアメリカ国内の日本資産を凍結し、石油の輸出を差し止め、日本をアメリカとの戦争に追い込んでいった。またこの先、ハワイへの軍事情報も差し止めた。
1941年8月14日:イギリス首相チャーチルとルーズベルトが大西洋の船上で秘密会談を行い、大西洋憲章に調印。これが国際連合の青写真となる。そこときのことをチャーチルはこう記している。「ルーズベルトの参戦への意欲は驚くほど強いものだった。」チャーチルは内閣に電報を打った。「ルーズベルトが参戦を固く決意していたことは明らかだった。」
1941年10月18日:内務長官ハロルド・イッキーズの日誌より。「参戦への最良の入口は日本であると、ずっと考えてきた。」
日本軍の用いた暗号コードはすべてアメリカに解読されていた。
パープル・コード
J-19
JNA-20
JN-25
チャーチルの手記より。「1940年末から、アメリカは日本の重要な暗号をすべて見抜いていた。日本の軍事上、外交上の膨大な量の暗号電報を解読していた。」
そして、パール・ハーバー奇襲計画のすべてが、暗号JN-25Bに記されていたのだ。
Magic:日本の暗号無線通信を解読して得た情報に対してつけたアメリカのコードネーム。この存在を考えると「日本側の襲撃計画をアメリカが予測できなかったとは考えられない。」
Ultra:ドイツのエニグマ(Enigma)暗号機を使って無線通信文を傍受、解読して得た情報について与えた英国のコードネーム。
1941年1月27日から、アメリカに対してもたらされたイギリス、ロシア、ペルー、オランダなど関係各国からの「日本軍によるパール・ハーバー襲撃の警告」や「日本軍からの暗号の解読文」を年表形式で順を追って詳細に示している。
その結果、パール・ハーバーの奇襲攻撃については、その正確な位置、日付、時間に至るまで、計画の詳細をアメリカが知っていたことが、動かしようのない事実としてあぶり出される。
1943年11月30日:ルーズベルト、チャーチル、スターリンがテヘランで会談。戦後のドイツ問題などに関して協議。このときルーズベルトはスターリンにこう述べた。「もし日本軍の襲撃がなかったら、アメリカの部隊をヨーロッパへ派遣することができたかどうかは非常に疑わしい。」この言葉をパール・ハーバーの4ヶ月前に大西洋船上での秘密会談で彼が述べた言葉と照合してみよう。「戦争を正当化するための“事件”を引き起こすためなら、なんでもやるべきだ。」もし日本の襲撃が唯一の可能な“事件”であったとすれば、もちろんルーズベルトはそれを引き起こすことを約束しただろう。
『パールハーバー、すべての陰謀はここから始まった』 本書のペーパーバック(全424ページ、驚嘆すべき内容満載)あるいは電子ブックをお求めの方は、ここをクリックしてください。ウェブページを読んだら、全編読んでみたくなったのでは?ウェブページに掲載しているものは、第1章の1割ほどで、本書でお話しする、数々の驚くべき暴露話のほんの一部です。 |
『パールハーバー、すべての陰謀はここから始まった』
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(書評)
「本書『パールハーバー、すべての陰謀はここから始まった』はアメリカについての認識をくつがえす、センセーショナルな一冊だ!」
大学教授、ロバート・ケルソ
本書ではじめて暴かれる真実の数々
「ウィリーの本は、その徹底的な調査こそが魅力だ。本書にはパール・ハーバー以前に解読された日本軍の暗号数百通、日本軍の主要なコードブックからの実例、12月7日の惨事へ導いた罪の証拠となるアメリカ海軍メモや外交メモが記載されており、また8編の付録、詳細な参考文献一覧、30頁に及ぶ脚注などでもさらなる情報が追記されている。」
2001年12月9日の書評より
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著者マーク・ウィリーへのEメールはこちら:pha1941@hotmail.com.
ホームページ: http://www.oocities.org/Pentagon/6315/pearl.html
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