アメリカ留学日記
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8月31日 第1週終了…
ようやく1学期目の第1週を終了。本当に色々起こった(相変わらず…)。新聞記者としての
最初の仕事は、911関連の特集もので、ミズーリからニューヨークの現場へ復旧の手伝いに
行った人たちの取材だった。かなりの取材量で、のっけから、ちょっと圧倒された。それが
月曜日のこと。

次の火曜日に授業を受けていたところ、急に胸の痛み、頭痛、軽度の呼吸困難に襲われた。
授業の間は我慢したが、終了後すぐにキャンパスのヘルスセンターへ直行した。そこでは、
大掛かりな機械で、心臓などの検査を受けた。検査後医師と話したところ、シリアスな状態
ではないが、過度のストレス、睡眠不足、喫煙などが重なって上記の症状につながったの
ではないか、とのことだった。で、カウンセラーに会うことを勧められ、翌日はカウンセリング
に。

カウンセラーは色々相談にのってくれ、授業の負荷が大きすぎるので、何とか軽減したほう
がいいという見解。そこで、このセメスターでreportingのクラスを取ることを断念した。つまり、
新聞記者生活は先送りとなった。Reportingのクラスは、アメリカ人でもタフだというくらいなの
で、私の物理的、精神的健康状態を考えた場合、先送りも止むを得ないと考えた、悔しいし、
情けないが…。

嬉しかったのは、私の状況を知った友達たちが、「みっち、大丈夫か?」と声をかけてきてく
れたことだ。私のことを気にかけてくれている人たちがいることを再認識でき、心から感謝し
たい気持ちになった。

一番負荷の大きかったクラスがなくなったとはいえ、それ以外の授業の読書量、書かなくて
はいけないエッセイの量を考えると、とても楽観はできない。が、ちょっと力を抜いていこうと
思う。もちろん怠けるつもりはないが、常に力んでいては、とても2年間続かないと思うので。
どんなときでも、シリアスに全力で取り組もうとし過ぎるのが、私の悪い癖だ。それによって
自分自身をかなり消耗させてしまうので。まあ、最悪、スクールから追い出されても、修士は
ひとつ持っているんだから、くらいの開き直った気持ちでやってみる。さてどうなることか。


8月25日 Beat

昨夜は、導入クラスのクラスメイトの家でバーベキューパーティーがあって、結局深夜2時に
帰宅。さらに色々なクラスメイトと友達になることができ、とても楽しいパーティーになった。

それにしても、やはり優秀な人間が集まっているなと実感する。それは彼らとの会話からも
感じることができるし、物理的数値からも感じられる。例えば、クラスメイトの一人は、graduate schoolから奨学金を得ているのだが、彼のGREのスコアは、ほぼ満点に近い。Verbalで780点
取っている!!すごすぎる。どうやって勉強したのか尋ねたところ、毎日数十個ずつ地道に
単語を暗記したとのことだ。やはり、GREのVerbalは暗記力が勝負のようだ。

そうした地道な努力の後、1週間会社を休んでGREを集中的に勉強したというのだが、
それが、ちょうど昨年の9月中旬のことだった。つまり、同時多発テロの時期と重なる。
9月11日に、彼はいつものように、テレビを見ず、外出もせず勉強した。翌日、気分晴らしに
海岸を散歩していたところ、数隻のボートが海岸に向かってくるような音がしたという。それを
聞いて、海岸にいた人々がパニック状態になった。彼は、「いったい何が起こったんだ?」と
理解できずにいたが、人々はテロの恐怖を感じて慌てたらしい。そこで、初めて彼は同時
多発テロ事件を知った。笑えるような笑えないような話だが、彼は、今となってはおもしろい
話だと言っていた。

そんな友人たちに囲まれて、今日はreportingのクラスのオリエンテーションに参加した。90人
の学部生と大学院生がこの授業をとっているのだが、その90人が、支庁や州庁といった地方
政府、健康、教育など自分が取材したい分野(その分野はbeatと呼ばれている)を事前に
提出した。私は、Taste Beatという、食に関する分野を希望し、無事受け入れられた。このbeatでは、レストランなどの
情報、食材、レシピといった、食に関するあらゆる情報を取材する。私は今まで、日本国内、
国外を通してたくさんの地域、国を旅行したが、つねに、一番の目的は、その地方のおいしい
ものを食べることだったので、私にはうってつけのbeatだ。あくまで、ローカル紙の記者として
働くので、そこでは、私が希望する、国際紛争の取材はできない。で、次善の策として、一番
自分が興味を持てる分野を選んだ。色々困難があることは間違いないが、まあ、何とかやっ
てみる。


8月23日 登録

今日は履修登録の日だった。私は、Reporting、Mass Media Seminar、International News Media Systemの3科目をこのセメスターに取ることにした。Reportingでは、J-School (School of Journalism)が発行するローカル紙の記者として働く予定で、その負荷がすごいという話なの
で、それに集中するため、最小限の履修に留めた。まあ、まずは様子見といったところだ。
結果として、全ての授業が火曜と木曜に集中することになった。自分では、ちょっときついか
なあと思っていたが、ほかの友達はみな、長い週末になるからと羨ましがっていた。そうなの
かな?

導入クラスのクラスメイトとはすっかり仲良くなったので(昨日とその前夜の飲み会を通じて)、
今は、孤独感はないし、新しく、ブロードキャスティング専攻などの、導入クラスに参加しなか
った留学生の友達もできて、なかなか楽しくなってきた。今感じるのは、やはり導入クラスで
苦楽を共にした仲間の連帯意識は、非常に強いということだ。みんな、「ミッチ、ミッチ」と気軽
に声をかけてくれるし、友達のひとりは、私の不安感を知って、「お前のうしろには俺たち全員
がついているんだから、心配するな」とまで言ってくれた。本当にありがたい。明日もバーベ
キューに招待されているので、さらに友達の輪を広げたい。

それにしても、英語のリスニングとスピーキング能力がすごい勢いで伸びているのには、自分
でも驚く。やはり日本語のない環境というのは大きいと改めて実感する。ちなみに、このセメ
スターに入学する学生の中で、日本人は私一人だった。通常、数人は日本人がいると聞いて
いたので、ちょっと驚いた。他の留学生も、日本人が一人と知って意外だと言っていた。
何はともあれ、アメリカ人の友達が親切にしてくれるし、他国からの留学生の友達もいるし、
今のところは全く不自由さを感じない。

今日は、色々ツキがある日だった。International News Media Systemを履修しようとしたところ、満員になっていて、最初は取ることができなかった。そこで
担当教授を訪ねてみたが、すでに定員を超過しているので、難しいとのことだった。ところが、
彼と話している最中に、履修を予定していた生徒からキャンセルしたいとの連絡が入り、その
結果私が履修できることになった。あとで友達に聞いたところ、何人もの友達が教授を訪ねた
が、彼らは全て履修を断られたとのことだ。うん、ツキがまわってきたかな。

最後に、今日は自己紹介の重要性を感じた日でもあった。昨日、J-Schoolの大学院生のためのオリエンテーションがあり、教授陣も全員集まった。その席で、
総勢百何十人の教授と生徒が自己紹介をした。私は、「大学卒業後、10年会社で働いて、
その後北アイルランドに留学してからここに来たので、すごい年寄りだって分かりますよね」
とか「英語力がないから絶対苦労するので、ぜひ助けてください」などと自己紹介した。
ウケを狙ったわけではないのに、何故かみんな爆笑していた。私が自己紹介を終えると拍手
までされた。私としては、百何十人もの自己紹介を他の人が覚えているわけがないと思って
いたが、それは間違っていた。今日会った教授たちはみな私のことを覚えていて、「ミッチ、
大丈夫だよ。君の英語はすごくいいよ」、「私の方が年寄りだよ」などといわれた。うーん、
自己紹介って大切なんだなと、改めて感じた。ちなみに、私が自己紹介すると必ず笑われる。
一切笑いをとろうとしていないのに、絶対笑われる。なぜなんだろう?とても疑問だ。


8月20日 Academic Adviser

今日、初めて私のアカデミックアドバイザーにあった。私の興味に応じて割り振られたようで、
国際紛争に関連した記事などを書いているジャーナリストだ。彼の書いた記事の中で、パキ
スタンにあるアフガン難民キャンプにおける、外傷後ストレス障害の問題についての記事
http://www.psychiatrictimes.com/p020401a.html)が、私にとっては非常に興味深かった。
まさに、私が将来書きたいと思っているような内容だったからだ。

彼は、私のために1時間半も時間を割いてくれ、彼の経験を話してくれたり、私の希望を聞い
てくれたりした。非常に親切で、人当たりがよく、少し安心した。私が「若くないので」といった
時、何歳かと尋ね、35と答えると、彼は40歳で初めてジャーナリズムの道に入ったと教えて
くれた。ずっと弁護士をやっていたのだが、自分が自分であるために、キャリアチェンジしたと
のことだ。

私が、新聞記者として1セメスター働くことに不安を感じていると言うと、「君の経験がなけれ
ば書けない記事というものが必ずあるから、そういうものが少しでも見えてくれば、徐々に
自信がついてくる」とアドバイスしてくれた。

彼のおかげで、自分が何をやりたいのか再確認することができ、意欲を新たにすることができ
た。よっしゃー、やったるでー、という気持ちかな、今は。少しの不安で、すぐ萎みがちな私の
意欲ではあるが…。少しだけ、明日が見えた気がする。


8月18日 By Mich Maruyama

前回書いた困難とは、導入クラスの講師との対立だった。先週は、J-Schoolが発行しているローカル紙の記者として取材するのが、与えられた課題だった。
テーマも自分で考えなくてはならなかった。私の場合は、1本目の企画が取材対象者の長期
不在でボツになり、2本目の企画は、講師に否定された。内容の詳細は割愛するが、彼女は、
私が取材するのは適当ではないので、他のクラスメイトに割り当てるという。私が、理解でき
ないと問いただしても、NO!というばかりで、合理的な説明をしてくれない。彼女の言葉どおり、
クラスメイトのひとりが、その取材を行った。どうしても納得できず、こんなやり方をする講師は
こっちから願い下げだと考えた。また、留学生は色々と参加しなくてはならないオリエンテー
ションや行わなくてはならない手続きがある。それを彼女は全く尊重してくれず、そのことにも、
大いに憤っていた。そんなこんなで、導入クラスをドロップアウトして、来るセメスターに同じ
授業を取り直そうと決めた。

アカデミックアドバイザーは、あと二日で終わりなんだから、なんとか続けたらと言ってくれた
が、私はどうしてもドロップアウトしたいと主張した。しかし、最後には、その授業は、アンダー
グラジュエイト優先だから、私の主張は受け入れられない、と説得された。

その後紆余曲折を経て、今日の新聞に、「By MICH MARUYAMA」という私の署名入りで、地域イベントを取材した記事が掲載された。生まれて
初めて、署名入りで新聞に記事を書いた。そのこと自体は嬉しいことだが、それよりも、自分
に与えられた、取材という義務を果たせたことへの充実感の方が大きい。取材前日は、正直
言って不安で不安で、逃げ出したいような気持ちだった。午前中に取材して、3時頃までに
記事を仕上げ、6時が最終のデッドラインという、プレッシャーがあったからだ。日本語なら何
とかなるが、英語で取材して、英語で書かなければならないわけだから、その緊張感は相当
だった。結局、内容の如何は別として、無事終えることができた。今は、本当にホッとしてい
る。とりあえずひとつ目のハードルは越えた。

講師との対立は、その後の話し合いで彼女の意見を聞くことができたので、一応決着した
(今でも私が取材できなかった理由には納得してはいないが)。今思うと、結局は、直面して
いる困難から逃げ出そうとしていたに過ぎないと思う。講師のやり方が理解できないという
ことを言い訳して、現実から逃避しようとしていたと感じる。自分の弱さと卑怯さがあった。

今日掲載された記事の取材は、講師が私に割り当ててくれたものだ。編集会議で、彼女は、
その記事のための枠をかなり強引に取ってくれた。他の編集者や記者は、当然日本から来た
ばかりの、まともな英語も話せない奴は信用できないから、私の方を見ながら、口々に、何が
起こっても大丈夫な体制にしておこうと言っていた。彼らが作っている新聞だから、そう思って
当然だろう。私の講師の意図は分からないが、おそらくは、私に何らかの自信を与えたかっ
たのだろう。とりあえず、一応の結果は出た。

たいした記事ではない。取材され、掲載された人とその関係者以外は、読み飛ばしてしまう
かもしれないような記事だ。しかし、私にとっては貴重な第一歩だ。そして、それを私は、悪く
ない第一歩だと思っている。


8月13日 矜持

いやー、色々起こるね外国では。今、かなり予想外の困難に遭遇している。勉強と関連して
いるが、必ずしも勉強のことではなくて…。ひとついえるのは、自分の矜持を保つための闘い
をしているということだ。明日、アカデミックアドバイザーと話し合って、方向性が固まると思う
ので、次の機会にご報告したい。

今日は、大学院留学生向けのオリエンテーションがあったので、それに参加し、初めて日本
人の留学生ふたりを発見。少し話はしたが、上述の問題を抱えているので若干上の空気味
で、メールアドレスの交換とかもしなかった。もう孤独には慣れたので問題ないが、とても良
さそうな人たちだったので、是非またお会いしたい。

話には聞いていたが、韓国からの留学生がめちゃめちゃ多い。200人とか300人とかいるらし
い。孤独な私としては、少しうらやましい気もするが、英語学習には、間違いなく妨げになる
だろう。というのも、ここ数日、私自身のリスニング能力が上がってきていることを、はっきり
確認できるからだ。やはり、強制的に母国語が使えない状況に放り込まれないと、よほど意
思の強い人でない限り、楽なほうへと流されてしまうと思う。北アイルランドでは日本人の
友達がたくさんいたから、やはり自分を甘やかしていたと思う。もちろん、そこで得ることが
できた友人はかけがえのないものなので、後悔はしていないが。

最初の話に戻ってしまうが、北アイルランドや日本では、将来が見えずに不安になることも
あったが、ここでは明日が見えなくて不安になる。この日記を続けて読んでいただいている
方はお気付きかもしれないが、私の感情は日々揺れている。人間だから当たり前なのかもし
れないが、それにしても不安定だ。もっとも、自分から好んで安定した生活を捨てたわけだか
ら、不安定な毎日を不満に思うのは矛盾しているともいえるが。次回の日記では、私の悩み
の全容とその結果どうなったのかお話したい。(何か安物のドラマみたいに気を持たせるよう
な言い方でごめんなさい。今日はまだお話できないんです。)


8月9日 困難と喜びと

いやー、読者の皆さん(って、いるのか?)、すっかりご無沙汰しました。

ついに始まった導入授業。メチャメチャ辛い。毎日2つのライティング、プラスアルファをやり、
朝は授業が始まる前に、J-Schoolが発行している新聞を読み終えなくてはならない。まあ、予想していたよりは、ちょっと
ましってところだろう。

授業の中で一番つらかったのが、記者会見の取材演習。講師が教育委員会のメンバー選挙
の候補者で、記者会見を開いたという想定のもと、声明を発表し、それに対して、記者である
生徒が質問するという形式だった。私は、その後すぐに記事を書かなくてはいけないものと
勘違いしていて、レコーダーを使わず、全神経を集中して声明を聞いた。概要を記事にする
だけならまだ楽だったのだが、候補者の発言を、最低2つ引用しなくてはならなかったので、
重要な発言は一語も聞き漏らせない、という状況だった。

リスニング能力とノートテイキング能力の低さから、いい引用を拾うことができず、まじで泣き
そうになった。結局は、次の日までの宿題だったので、講師の許可を得て、アメリカ人の友達
から情報をもらったが、本当に情けなかった。

授業も辛いが、友達がいないのがもっと辛い。留学生がたくさんいるだろうと思っていたの
だが、日本人は私一人、それ以外には、中国、韓国、ウズベキスタンから一人ずつで計4人。
アメリカ人は30人以上いるので、留学生率はかなり低い。留学生の中でも、私の英語力が
ダントツ低いように思える。つまり、クラスで一番言語能力がないということだ。それはそれで
いいのだが、アメリカ人どうしが話している会話に入れないのが問題だ。昨日の夜は、やる
ことなすこと何一つ思うようにならないいらだちと孤独感とで、マジで泣いた。悔しくて、
寂しくて、情けなくて…。

で、クラスに友達が一人もできなくてもいいや、と開き直って、今日の授業に出席した。授業
が終わったあと、アメリカ人のクラスメイトの一人が、パブに行かないかと誘ってきたので、
これ幸いと、彼を含め5人で出かけた。少なくとも4人の友達ゲット、と思っていたのだが、いい
方に予想が外れた。そこには、次から次へとアメリカ人のクラスメイトが現れ、計20人くらいに
なった。おかげで、たくさんの人と話すことができ、本当に嬉しい。明日もパーティーに誘われ
ているので、社交生活も充実してきた。

とまあ、そんなふうな最初の1週間が終わった。幸い土日は休みがもらえた。今日の夜は
チョー寝る。


8月4日 ちょっと緊張
いよいよ明日から導入クラスが始まる。今日は、しっかり最後の予習をしようと思っていたの
だが、気付いたらソファーで寝てたり、野球中継を見たりして、結局あまり勉強はできなかっ
た。まあ、明日から嫌でも勉強しなきゃいけないんだから、今日くらいはいいか。そう自分に
言い聞かせこれから就寝しようとしている。どの程度大変なのか想像がつかないので、
少し緊張している。

話は急に変わるが、今日の夕飯は、日本のルーを使ってカレーを作った。うん、やっぱり日本
のカレーはうまい。日本で食べるのとまったく同じ味だ。このカレールーがColumbia買えると
いうのは大きいな、とつくづく感じた。

8月3日 発見
今週末は、おそらくゆっくり過ごせる最後の週末なので、今日は、ショッピングモールにバス
で出かけた。バスの出発時間が、2時35分だったので、2時30分頃にバス停に着くようにある
いていると、目の前をバスが通り過ぎてゆく。あっ、と思って手を振って止めようとしたが遅か
った。うーん、時間より前に発車するとは予測していなかった。油断のならない相手だ。で、
次のバス(約1時間半後)をつかまえてモールに向かった。

前回来た時は気づかなかったけど、今日歩き回って、ラルフローレンの店を発見。以前から
買おうとしていた、短パンを購入。割引セール中のため、2足で約$30だった。店の人も、
「いい買い物でしょ」といっていたが、確かに安い。日本では、この金額で買うのは難しいだ
ろう。かなり得した気分。その後他の店でTシャツなどを購入し帰宅。うん、満足いく日だった。

8月2日 車かー

やっぱり車がないと、アメリカでの生活は不便!!今日はつくづくそう思った。来週から、
導入クラスが始まり、土日なしなので、今日、食料品を買い込むために、WAL-MARTに出かけた。2週間分買わなくてはいけないという意識が働き過ぎたのか、思っていた
より、かなりたくさんの量になってしまった。これじゃバスでは運べないな、と思ったので、
タクシーを呼んだ。20分で来るといわれたので、本を読みながら待っていたのだが、50分
たっても来ないので、あきらめて、バスで帰ろうとしたが、次のバスまでは1時間近く待たなく
てはならない。結局、バスで帰ってきたのだが、最寄のバス停がからアパートまで、すごい
量の荷物を運ぶはめに…。

タクシーが来なかったのは初めてではない。以前キャンパスから呼んだときも来なかった。
その時は、何度も電話で催促したのに、結局来なかった。だから今日は、催促することすら
しなかった。いずれの場合も、同じタクシー会社だった。たくさん選択肢があればいいが、
Columbia界隈では、この会社くらいしかないようだ。間違いなく、来てほしい場所は伝わって
いるのに、何で来てくれないんだろう?分からない。いずれにせよ、もうタクシーは一切頼り
にしないし、この会社のタクシーは、一生使わない。しばらくは、車なしで頑張ってみようと
思っていたけど、早く車を買わないといけないなー。

こういうことは、北アイルランドでもたくさん体験したけど、自分で物事をコントロールできない
無力さで、怒るよりも情けなくなる。北アイルランドの名誉のためにいえは、北アイルランド
では、電話で催促すれば、必ずタクシーは来てくれた。たとえでんなに遅れてであっても…。

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