質問:世界に自分に畏敬を感じさせる事について書きなさい

私は人間の言語はとてもおもしろいと思います。人工的な言語(たとえば、コンピューターサイエンスのプログラ 言語)も ん ん進化してきた言語も人間のツールで、おもしろいと思います。人間は言語を使えるので、人間は曖昧な感情を他の人間に伝えられます。それに、言語で自分の考えも表現出来ます。

言語の分野には「Sapir-Whorff」という仮説があります。この仮説は人間の考え方は言語に変わると言います。私は学 で日本語をもう五年間勉強してきたので、私もこの仮説は本当 と思うようになりました。日本語には「敬語」というふくざつな言語があります。日本人は目上の人と目下の人との関係をよく知っているようです。目上の人と目下の人(たとえば、社長と社員)がどんな言葉を使っているかによって、目上の人と目下の人との関係をすぐ知ることに出来ます。日本人以外の人は「敬語はふくざつすぎるに違いない。それに、フォーマルな言葉も普通な言葉も習うのは不必要 。」と思うかも知れません。英語では自分がフォーマルな言葉を使いたかったら、もっとふくざつな言葉を使うべき と思います。私は英語には特別なフォーマルな言葉があまりないと思います。それから、英語の母語話者はフォーマルな言葉はちょっと不必要 と思うかも知れません。 

でも、日本人にとって、みんなは目上のカテゴリーか目上のカテゴリーか同輩のカテゴリーに分けられています。なぜなら、自分がどんな人と話しているかによって、言葉が違うからです。目上の人は「~先輩」とかタイトルで呼ばれているのに、目下の人は「~ちゃん」とか「~君」と呼ばれています。それに、目上の人か目下の人と話したら、もっとフォーマルかインフォーマルな言葉を使わなければなりません。同輩と話せば、普通な日本語を使ってもいいです。英語にも目上の人のカテゴリと目下の人のカテゴリーと同輩のカテゴリーがあるのに、誰と話しても同じような英語で話します。自分は特別なフォーマルな言葉を使わないでしょう。 から、日本人の方が英語の母語話者より人をカテゴリーに分けられるかも知れません。敬語などのアイデアのおかげで、日本人は目上の人と目下の人との関係はとても大事 と思います。私はそれはいいかどうか知らないけど、自分は日本人の考え方を分かりたかったら、敬語も分からなければならないと思います。

から、私は敬語は日本人の考え方の表れ と思います。日本人の考え方が日本語の言葉に変わったので、私はSapir-Whorffの仮説は本当かも知れないと思うようになりました。英語の母語話者の考え方も英語に変わったかも知れません。私はそれは本当におもしろいアイデア と思うので、大学でも言語を勉強するかも知れません。人々は言語は使いやすいと思うかも知れないけど、言語は本当にふくざつなツールです。