2003年企画「大阪の境を歩く」

第6回 矢田・あびこ・杉本町



■ 9/20(土)大阪の端めぐり(第6回)「矢田・あびこ・杉本町」
  &月例研究会(阿倍野市民学習センター)

【昼の部】
 さて、生憎の空模様のなか近鉄矢田に集まったのは私と壷田さんの2名、そこへ先導
の三原氏よりトラブル発生のためとかで大幅に遅れるとの連絡があり、急遽集合場所を
地下鉄我孫子へ変更して仕切りなおし。つまり予定のルートの前半以上の部分をいきな
りカットするという波瀾の開幕でした。ちなみに近鉄矢田→我孫子間は私と壷田さんの
おデート状態だったのですが、台風の接近のせいかすこし風をはらんだ雨が降りしきる
なか、早足にスタスタと移動したのでありました。三原氏と合流した我々は、商店街の
今時カフェで歓談しつつ、雨脚の衰えるのを待ち、腰をあげたのはもう4時をまわった
頃だったろうか。
 いちおうルートを報告しておくと、
あびこ商店街→吾彦観音寺→(観音西門から南下)→『憩務所 夏櫨』→JR杉本町
 以上となります。総行程1kmあったかどおか。ウォッチングよりもサテンでたむろし
ていた時間のほうがずっと長かった昼の行程でしたが、それでも学生街?の喫茶店(夏
櫨)で寛いだのもまたよし(レモン・ライス、愛す珈琲、丁稚丼、などメニューが楽し
い)。それから、お彼岸といえどもどの寺も何かやっているわけではないこと(「ここ
(吾彦観音寺)は現世利益のお寺で、死んだ人はかんけいないねん」)等、勉強させて
いただきました。
(報告:川内義行会員)

【研究会】
 内容は阪神間スポーツ&アウトドア系アミューズメント施設黎明期から始まり、阪神
と阪急の沿線開発競争、明治〜昭和の関西野球史、創生期の職業野球状況、関西テレビ
のナイター中継事情、東西対抗意識と私鉄沿線意識の矛盾、少年マンガ、そして60年代
以降、なぜパリーグがメディアから置いていかれたか・・・・など多角的にデータとデ
ィスカッションで検証した。
 柏原君の西宮球場懐古も興味深く、また、彼の近所の阪急ファンは洋館住まいで、そ
こにメルクリンのセットがあったというエピソードが妙に面白かった。と言うのは、ボ
クの高校の同級生K君(阪急ファン)は、マーチンのギターを持っていた。思い返せ
ば、K君を含む中等部からのエスカレーター進学組に阪急ファンが多かったし、当時の
球団代表の子息K教諭は合唱部顧問で、男子高校教師らしからぬ洒脱な趣味で人気があ
った。
ファンクラブ会誌では芦屋のお嬢様を意識していたというし。このあたりがブレーブス
ファンの典型像か。
 ブレーブス売却は私鉄沿線文化の黄昏の序曲だった、というまとめにゲストの仲さん
が「阪急グループにとってブレーブスとは何だったのか?」と漏らされた。
 たぶん「ヅカガールに負けた男集団」というイメージなんだろうな。
 発表者は「都文研の今井雄太郎」こと辻野でした。(報告:辻野隆雄会員)

【参加者】壷田、三原、川内、(研究会のみ)柏原、辻野、
    (研究会ゲスト)仲さん(熱烈なブレーブス−ブルーウェーブファン)





 
編集・発行:大阪都市文化研究会事務局