條 野 採 菊のぺーじ 自家メモ版



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■ 條野採菊 (1832・天保3−1902・明治35) ■


 本名は條野伝平という。山々亭有人(さんさんてい ありんど)、「採菊山人」「朧月庵」「朧月亭有人」「東籬園」「條野有人」などとも号した。日本橋長谷川町の地本問屋の生まれで、本郷三丁目の呉服屋伊豆蔵の番頭を勤めるかたわら、幕末江戸時代から、仮名垣魯文とともに「春色恋廼染分解(しゅんしょくこいのそめわけ)」などの戯作を執筆した。

 西田菫坡や落合芳幾らとともに東京日日新聞社の創立者の一人である。また、東京絵入新聞にも関係した。明治17年10月には「警察新報」を創刊したが、これを明治19年10月には「やまと新聞」と改めて、主宰した。須藤南翠、饗庭篁村らとともに、明治20年代の新聞社派の劇作家である。福地桜痴から材料を得て翻案小説も執筆し、歌舞伎座の創設にも協力した。さらに、明治22年には『新小説』(―同23年まで)の創刊にもかかわっている。
(なお、第2期『新小説』(春陽堂、明治29年7月―大正15年。幸田露伴主幹)とは異なる)

 東京日日新聞ややまと新聞社時代には、その記者であった若き岡本綺堂に江戸の風俗や事象それに歌舞伎などについて教えた。また、画家の鏑木清方の父である。



■ ご 案 内 ■

2dot2b.gif 條野採菊といふ人

2dot2b.gif 條野採菊 研究および関連記事

2dot2b.gif ウエッブ上の條野採菊(リンク集)

2dot2b.gif 條野採菊の主要な作品と業績

2dot2b.gif 採菊これくしょん


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