◆早大SuperFree強姦事件のまとめ10(裁判の情報2)
●初公判 2003年9月17日水曜日
傍聴席56席、抽選参加者219人(2003年9月17日付読売新聞)
・法廷内見取図
裁判官
検 弁 女 千田洋子弁護士(小柄、短髪)
察 護 男 小原恒之弁護士(毛髪あり、やせ型で青白い)
官 人 男 (眼鏡、禿げ上がったスキンヘッド)
男 (眼鏡、毛髪薄い、白髪あごひげ、小太り)
藤村
和田
岸 沼 小 小
本 崎 林 林
潤 大 ※各被告人の両脇に警備担当事務官
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傍聴席
(56席)
・冒頭手続に加え、証拠調べ手続のうち書証についての同意・不同意の確認等が行われる。
・10分ほどで閉廷する。
・和田らは染色した長髪のままで出廷。和田は白シャツに黒ズボン。
・藤村翔は眼鏡をかけていた。
・小林潤一郎は落ち着きがなかった。
・傍聴人は若年者が多かった(2003年9月17日付読売新聞)。
・全員容疑を認めたが、和田のみ計画性について以下のとおり否認。
「姦淫した事実は間違いありません。その点は深く反省し、申し訳ない気持ちです。ただ計画的にしたことではありません」
※あまりに強姦を繰り返したために感覚が鈍麻し、「計画」という言葉の意味を理解できなくなったのではないかとの見方もある。
検察冒頭陳述(2003年9月17日付朝日新聞)
・和田の発言として陳述
「まわし(輪姦)に参加しないと連帯感が生まれない」
「まわし(暴行)に参加しないスタッフは、スタッフじゃない」
・2001年12月19日の事件
・組織事務所(高田馬場)での「鍋パーティー」の際の犯行。
・和田、岸本、小林潤一郎の3人が女子大学生(19)を輪姦。
・アルコール度数の高いウォッカを混入した「スペシャルサワー」を準備。
・ゲームの罰ゲームとしてこのサワー等を約12杯一気飲みさせた。
・「もう飲めません」と拒んでも「ルールだから」と飲ませ続けた。
・女性が意識を失ったところで別室に引きずり込んだ。
・2003年5月18日の事件
・六本木の居酒屋での犯行。
・和田、小林潤一郎、沼崎、藤村、小林大輔が女子大学生(20)を輪姦。
・女性が酔って泣き始めると、人通りのない別の階に連れて行った。
・証拠隠滅のために女性の携帯電話から自分たちの番号を消去した。
・居酒屋に戻った女性が怒りを抑えきれずに怒鳴り始めると、「何のことだかわからないよ。酔っぱらいすぎだよ。もう帰ろう」とその場を取り繕った。
・帰り道に和田らは「あれは合意の上だった」と口裏合わせをした。
※和田らは被害者女性2名にそれぞれ謝罪の手紙を送ったが、受取を拒否されている(2003年9月17日付毎日新聞)。
※見え透いた情状酌量の減刑狙いが認められるほど世間は甘くないということではないかとの見方もある。
●第2回公判 2003年9月30日火曜日
傍聴席56席、抽選参加者115人
以下のとおりだったとのこと。
・10分ほど遅れて始まった。
・弁護人の申入れで被告人質問が延期されたため、15分ほどで閉廷した。
・和田は黒のスーツに白シャツ。
・藤村はグレーのスーツに薄い青のシャツ、銀縁眼鏡。落ち着きがなかった。
・沼崎は深緑のデニム地のシャツ(上着なし)
・小林(潤)と小林(大)は濃紺のスーツに白シャツ、眼鏡。
・岸本は黒スーツに白シャツ、眼鏡。
・6人の被告人のうち、沼崎敏行が染色した長髪を散髪し、坊主頭にしていた。
●第3回公判 2003年11月06日木曜日
傍聴席57席、抽選参加者92人
以下のとおりだったとのこと。
・抽選参加者の9割程度が男性(30代前後でスーツ着用の場合が多い。次に学生風)。
・傍聴人に被告人の両親らしき人物がいた(父:スーツ、母:喪服のような黒服)。
・両親らしき人物は前回も傍聴していた。2人とも疲れた様子だった。
・両親らしき人物には開廷前に弁護人が法廷で話しかけるなどしていた。
・昨日逮捕が報道された第二次事件(2003年4月27日の事件)についての冒頭手続。
・冒頭手続のうち人定質問、起訴状朗読がなされたが、罪状認否は未済。
・第一次事件(2003年5月18日等の事件)についての審理は行われず。
・和田ら6人に加え、昨日逮捕が報道された吉野、宇田の計8人が出廷。
・以上からすると、昨日5日に逮捕が報道された7人は10月に既に逮捕されていた可能性。
・10分ほどで閉廷する。
・和田はやせて頬がこけていた。
・藤村と小林(潤)はしきりに傍聴席の方を振り返っていた。
・それ以外の者は振り返らなかった。
・吉野だけがカーキ色の私服で残りの7人はスーツだった。
・和田以外は全員眼鏡をかけていた。
・沼崎以外の全員が染色した長髪のままだった。
・閉廷後、警備担当事務官がいっせいに和田らに手錠をかけ、青い腰縄で拘束していた。
※若松、関本、小泉も起訴済だが公判期日は未定。
※少年A、少年Bについては不明だが、事件の悪質さからすると、家裁送致後いわゆる逆送により起訴されるのではないかとの見方もある。
(参考)少年事件手続の流れ(香川県警)
http://www.pref.kagawa.jp/police/soudan/syounen/tetuzuki1.htm
(参考)イギリスでは殺人や強姦等の凶悪犯罪の場合、10歳以上で刑事法廷で審理でき、裁判官の判断で実名を公表できる。1993年に10歳の少年二人が2歳の幼児を殺害したバルジャー事件では、刑事法廷での審理・実名公表・写真報道がなされた(2003年8月15日付毎日新聞)。
●第4回公判 2003年12月3日水曜日10:00(第104号法廷)
傍聴席72席、抽選参加者72人(抽選なし・全員傍聴可)
以下のとおりだったとのこと。
・法廷内見取図
裁判官
修
検 弁 女 男
察 護 男 男
官 人 男 男
男 男
藤村 男 男
和田
吉 吉 岸 沼 小 小 ※裁判官・検察官は3名ずつ(全員男性)
村 野 本 崎 林 林 ※修:司法修習生(女性)
潤 大 ※各被告人の両脇に警備担当事務官(計16人)
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傍聴席
(72席)
・藤村、和田、小林(大)、小林(潤)、沼崎、岸本、吉野、吉村直(逮捕時19歳・現在20歳)の8人が出廷。
・吉村直の人定質問と起訴状朗読が行われる(さいたま市南区白幡2在住の慶大経済学部2年生)。
・和田と吉野、吉村以外の5人が坊主頭にしていた(法廷で軽い驚きの声が上がった)。
・これで「古株」の6人で染色した長髪のままでいるのは和田のみとなった。
・吉野、吉村を除く和田ら6人は約半年に及ぶ拘留で陽に当たる機会が少ないせいか青白かった。
・少年は二人とも既に起訴されていた様子。
・弁護人は初公判の4人から10人(前列5・後列5)に増えていた(60〜70代でみるからに老齢)。
・吉野と吉村は私服、それ以外の者は紺、黒のスーツに白シャツ(ネクタイはなし)。
・10分ほどで閉廷する。
・中谷雄二郎裁判長が弁護人らの都合による審理の遅れについて遺憾の意を表明していた。
早大ス−パーフリー「レイプ」事件 裁判傍聴記 12/3(SPIKE)
http://www.h5.dion.ne.jp/~cube/0_spike/spike_news/sf/sf_dai4kouhan.htm
※SPIKE・・・早大生が中心となって編集しているデザイン系フリーマガジン
●第5回公判 2003年12月12日金曜日11:00(第528法廷)
傍聴席44席、抽選参加者11人(抽選なし・全員傍聴可)
以下のとおりだったとのこと。
・宇田篤史、小泉創一郎、若松直樹の3人が出廷。
・全員紺・黒のスーツに白シャツ(ネクタイなし)。
・小泉、若松は初公判となる。
・人定質問・起訴状朗読等の冒頭手続。
・全員坊主頭にしていた。
・若松は1976年10月31日生(27歳)。本籍は愛知県。
・宇田は都内の専門学校を中退。
・小泉は1982年12月24日生(20歳)。21歳となる誕生日の翌日に2回目の公判予定。
・小泉は産能大学経営学部2年に在籍していたが、現在は自主退学済(本人が答えられず弁護人が発言)。
・宇田と小泉は窃盗の非行歴あり。
・罪状認否については3人とも認めていたが、宇田と小泉が妙なところで否認。
・具体的には、女性を姦淫したことは認めるが、直接的には酒を飲ませてはいないというもの。
・裁判長の「被害者の酩酊状態に乗じて姦淫したことは認めるんですか」との問いには認めると発言。
・発言を求められた弁護人も「本人は(自身らの罪について)よく分かっておりますので」と釈明。
・小泉は非公開の被害者女性の氏名を危うく口にしかけるなど頭が回らない様子。
・検察冒頭陳述で述べられた和田の発言
「撃って来い(強姦して来い)」
「みんなでマワすんだ」
「女は撃つための公共物だ」
「撃った後で和んでおけば犯罪にならない」
「俺が大学に在籍しているのは、4月のためといっても言いすぎじゃない」
(多くの主として酒席に不慣れな新入生の女性を強姦できるため)
「(4月には)15〜20人は撃つぞ。ガンガン撃ちまくるぞ」
「(2003年4月27日には)札幌支部と福岡支部のスタッフも来るからそいつらにも撃たせてやろう」
・「スタッフ強化合宿」なる強姦の手口の習熟を図る合宿を開いていた。
・具体的には「スペシャル」の作り方や強姦をしても処罰されない「必勝法」の指導。
※スペシャル・・・スピリタス(アルコール度数96度のポーランド産ウォッカ)等を混入した高アルコール度数の酒類。
●第6回公判 2003年12月12日金曜日16:00(第528法廷)
傍聴席44、抽選なし(全員傍聴可)
以下のとおりだったとのこと。
・2003年4月27日の六本木居酒屋踊り場での事件についての審理。
・関本雄貴、関本隆浩の2人が出廷。
・2人は兄弟(栃木県出身)。
・人定質問等の冒頭手続と一部証拠調べ手続。
・2人は初公判となる。
・関本雄貴は黒のスーツ。
・関本隆浩は紺セーター、白シャツに灰ズボン。
・関本隆浩は眼鏡をかけ目が細くやせ型。
・2人は染色した長髪のままで出廷。
・関本雄貴は専門学校を中退後職を転々とし、犯行時は無職。
・関本隆浩は栃木県の高校を卒業後、東京電機大学工学部2年に在籍していたが、現在は自主退学済。
・関本隆浩は犯行当時19歳だったが現在は成年(1983年9月20日生)。
・被害者女性(当時18歳)の証言(書面)
「強い憤りを感じています。絶対に許すことはできません」
・被害者女性の母親の証言(書面)
「娘はリビングのソファに座ると突然泣き出しました。理由を聞いてみると、
事件に遭った(約20名に強姦された)ということでした。娘は過食症になり、
食べては吐くということを繰り返しています」
・岸本英之の被害者女性への発言
「お前昨日20人くらいにヤられたんだぞ」
・現場での組織幹部らの発言
「今行けば撃てますよ」
「もう始まってますよ」
・現場での小泉創一郎の発言
「昨日はアツかった。すごい回転だった」
・次回期日(2004年1月23日10:00)では被告人の情状酌量を求める証人(おそらく関本の父母)が出廷する。
・その他、次回期日では被告人質問などが行われる予定。
(参考)少年容疑者の顔写真公開も 政府の大綱受け警察庁(2003年12月11日付共同通信)
http://independence.fc2web.com/031211kyodo.htm
●第7回公判 2003年12月25日(木)13:30(第104号法廷)
傍聴席66席、抽選参加者118人(約1.8倍)
以下のとおりだったとのこと。
・法廷内見取図
裁判官
検 弁 女 男
察 護 男 男
官 人 男 男
男 男
高 和 藤 男 男
山 田 村 男 男
吉 若 小 宇 男 男
村 松 泉 田 男
吉 岸 沼 小 小
野 本 崎 林 林 ※裁判官・検察官は3名ずつ(全員男性)
潤 大 ※各被告人の両脇に警備担当事務官(計24人)
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傍聴席
(66席)
・藤村、和田、小林(大)、小林(潤)、沼崎、岸本、吉野、吉村、宇田、若松、小泉、高山の12人が出廷。
・高山知幸は初公判となる(坊主頭で起訴事実を全面的に認めていた)。
・高山知幸の生年月日は1983年2月14日。
・和田は追起訴分について「計画および指示したことはありません」と相変わらず。
・約1時間の審理の後、1時間の休憩を挟み、さらに30分ほど審理が行われた(証拠調べ手続)。
・岸本の弁護人の遅刻により手続が遅延した。
・和田と吉野以外の10人は坊主頭。
・和田は染色した茶髪部分と伸びた黒髪部分が斑状になっていた。吉野は黒髪。
・高山と小林(大)以外の10人は黒・紺(藤村は灰)のスーツ。
・高山は茶と白の横縞タートルネックセーター、小林(大)は黒ダウンジャケットに紺長袖Tシャツ。
・暑かったせいか、小林(大)は途中でダウンジャケットを脱いでいた。
・沼崎敏行が薄ら笑いを浮かべながら時折右後ろの傍聴席を振り返っていた。
・被告人らの知人・友人等と思われる女性が数グループ傍聴に訪れていた。
・被告人らを愛称で呼び、「(被告人らが)かわいそう」などと口々に述べていた。
・証拠調べ手続では各被告人は概ね検察官の陳述に同意していた(弁護人も同様)。
・不同意の内容は大勢に影響ないと思われる瑣末なもの(事前共謀はなかった等)。
・事前共謀はなくとも現場で共謀はあったなどと検察官に切り返されていた。
・被害者女性(2003年4月27日の事件・当時18歳)の母親の証言(書面)
「娘は過食症となり、家族が寝静まった深夜に食物を買いに行きます。食べている間は何も考えなくて済むため、やめることができません。朝6〜7時頃に決まって意味不明のうめき声を上げます」
・今後は起訴事実や書証に同意する被告人と不同意が散見される被告人(和田ら)の公判が分離される。
早大ス−パーフリー「レイプ」事件 裁判傍聴記(2) 12/25(SPIKE)
http://www.h5.dion.ne.jp/~cube/0_spike/spike_news/sf/sf_saiban031225.htm
※SPIKE・・・早大生が中心となって編集しているデザイン系フリーマガジン
●第8回公判 2004年1月21日水曜日13:30(第104号法廷)
傍聴席78席、抽選参加者97人(約1.2倍)
以下のとおりだったとのこと。
13:30 開廷、弁護人による被告人質問(和田真一郎)
→和田の大学受験から組織加入・運営、2003年4月19日の新歓パーティーまで。
15:00 休憩
15:30 弁護人による被告人質問(和田真一郎)
→4月27日の事件について。
16:00 検察官による被告人質問(藤村翔)
17:00 閉廷
・藤村翔、和田真一郎、小林潤一郎、沼崎敏行、岸本英之が出廷。
・小原恒之弁護士が2度連続で遅刻し、裁判長に叱られていた。
(弁護人(年配の女性)による被告人質問・和田真一郎)
・和田は相変わらず染色した長髪。
・加えて、黄色のゴムでちょんまげを結っていた。
・質問内容はこれまでの報道内容を確認していくようなもの。
・組織が大学の公認を外されたのは法政大学からの苦情が原因。
・階級制の導入は2002年3月。サヴらと相談して決めた。
・ヴェルファーレでの諸経費は150万円(会場・飲料・警備。売上との差額が利益)。
・サヴは平成14年に東洋大学を卒業していた。
・2時間で約100回ほど質問がなされる。
・おそらく和田の弁護人の方針は以下の2点。
「スーフリの「人間を磨く」、「客を楽しませる」という建前を強調して情状酌量を狙う」
(単なる強姦魔ではなかったということの主張)
「計画的・統率的ととられる内容の徹底否認」
・とにかく徹底的に否認していた。
・例えば、スピリタス混入指示の意図:女性を開放的な気分にさせるため。輪姦のためではない。→以下の藤村等の証言からすると空回りしていた。
・次回公判で検察は和田が輪姦に執着していた証拠として証人4人を喚問予定。
・証人の4人は関本兄弟と札幌支部の構成員2人(2003年4月に東京のイベントに参加)。
・和田担当の年配の弁護士(女性)はあやうく被害者の名前を口にしかけるなど頭が回らない様子。
・そのことについて検察官から注意されていた。
・また、年齢のせいか動作が緩慢かつ段取りが悪く訴訟手続を遅延させていた。
・そのため、裁判長から段取りについて何度か質問されていた。
(検察官による被告人質問・藤村翔)
・相変わらず甲高い声で素直に質問に答えていた。
・和田とはうってかわり、完全に罪を認め、具体的に証言していた。
・いかに和田が組織を統率し、輪姦にこだわっていたかが詳細に説明されていた。
・オセロゲームで白の石を黒にひっくり返すように、和田の大嘘を指摘しまくっていた。
・1時間で約40回ほど質問がなされる。
・自分が組織で最も影響を受けた人物は和田真一郎。
・以前、和田率いる輪姦に賛成する鬼畜班とそれに反対する和み班で抗争があった。
・結局鬼畜班が優勢で、和み班のメンバーは組織を辞めざるを得ない状況になった。
・和田との会話例
スタッフ「この前マワしたあの子はよかったですね」
スタッフ「●●さんは何でマワしに参加しないんでしょうかね」
和田「そうだな。そんなの一人前じゃないよな」
・「連帯感」とは、「みんなで悪いことをしている」というスリル感。
・2003年4月19日、27日に北海道支部のメンバーを一人ずつ呼んだのは輪姦に参加させるため。
・2002年12月の関西イベントでマワしに関して関西支部スタッフとトラブルになった。
・和田は「俺の生きがいを奪いやがって」と大変憤慨していた。
・その後和田は「連帯感を高めるために地方の鬼畜化が必要」と考えるようになった。
・いわゆる「お持ちかえり」はタブーで、吉野が和田や岸本によく注意されていた。
・そのくせ和田自身は2003年4月19日の二次会(和民)後に女性と二人で消えた。
・和田が暴力を振るうことはよくあった。
・自分は事務所の掃除を怠ったことで和田に殴られた。
・スタッフの一人は2003年5月の福岡イベントで女性を3次会会場に誘導することに失敗し、和田に殴る蹴るの暴力を受けていた。それは壮絶で思わず死んでしまうのではないかというくらいだった。自分は怖くなってその場から逃げ出してしまった。
・輪姦について常連の女性やスタッフ内部から悪評を流されていた。
・そのような人間は特定し、出禁(出入禁止)の処分をしていた。
・2003年4月27日の事件の後の各人の発言。
小林大輔「まあ大丈夫ですよー」
和田「今日はアツかったよ。ありがとなー」
和田「(小林大輔が被害者の携帯メモリを消去したことについて)いい動きをしたな」
・二次会の輪姦をやめたらどうかというスタッフの提言に対する和田の言葉
「ありえない。二次会は俺の生きがいだ」
・未逮捕者で通称のびたという構成員が輪姦に参加していたようだ。
・和田を最も持ち上げていた人物はサヴか関本雄貴(兄)だと思う。
※今後、藤村翔、小林潤一郎の公判がそれぞれ分離される。
早大ス−パーフリー「レイプ」事件 裁判傍聴記(3) 2004/1/21(SPIKE)
http://www.h5.dion.ne.jp/%7Ecube/0_spike/spike_news/sf/sf_saiban040121.htm
※SPIKE・・・早大生が中心となって編集しているデザイン系フリーマガジン
●第9回公判 2004年1月24日金曜日10:00(第528号法廷)
傍聴席42席、抽選なし(先着順・おそらく全員傍聴可)
以下のとおりだったとのこと。
・関本雄貴・関本隆浩兄弟の証拠調べ手続。弁護人・検察官双方から被告人質問。
・約2時間で閉廷する。
・関本雄貴(兄)は4〜5センチ程度の短髪にスーツ。
・関本隆浩(弟)は坊主頭。紺セーター白シャツ灰ズボン。
・両親と伯(叔?)母が傍聴席最前列で傍聴。父親が証人として証言。
・父親は車検関係の法人に勤務。
・二人の犯罪は親類縁者・近所にも全て知れ渡っており、父親は職場で茨の道を歩んでいる。
(父親の証言)
・父親は涙ながらに証言。傍聴席に戻っても何度もハンカチで涙をぬぐっていた。
・今後は二人を栃木の親元に置き、しっかりと監督していくと証言していた。
・兄の性格は飽きっぽくわがまま。弟のそれはよく言えば穏やか、悪く言えば気弱と表現。
・父母は兄弟にそれぞれ2回ずつ東京拘置所に面会に行った。
・父親は弁護人を通じ1200万円(600万円×2)を慰謝料として被害者女性側に支払った。
・父親が立て替えた1200万円は2人が更生後月々5万円ずつ父親に返済する予定。
・その他、兄弟は裁判所に反省文、被害者女性に謝罪文を送付した。
・父親は弁護人とともに被害者母親に会おうとしたが断られた。
・その代わり、電話で被害者母親に謝罪の気持ちを伝えることが認められた。
・それらの結果、2004年1月17日に民事上で被害者側と示談が成立した。
・ただし、被害者女性は「刑事処分については一切許さない」と言っている。
(弁護人による被告人質問・関本雄貴:兄)
・一応謝罪の言葉を述べてはいるが、暗記したものを棒読みするような非常に薄っぺらい印象。
・父親や関本隆浩(弟)のような真摯な反省は感じられない。
・スーフリ入会以前は東京ビジュアルアーツ専門学校を中退後、パチンコ店員などを転々としていた。
・関本雄貴は2000年の春にスタッフとなった。
・パーティー券販売によりイベント1回につき約5万円の利益を上げていた。
・輪姦を初めて見たのは2000年の秋。小林潤一郎がツインスター(神楽坂)で行っていたもの。
・輪姦に参加したのは計10回ほど。初参加は2001年4月から。輪姦が楽しく罪悪感が麻痺した。
・そこで弟の隆浩もスーフリへの入会および輪姦に誘った。
・雄貴自身による印象では組織序列は1.和田、2.岸本、3.小林潤、4.サヴ、5.自分といったところ。
・2001年秋に形式的に引退した。
・2003年4月27日の事件だけではなく立件されなかった4月19日の事件でも輪姦していた。
・4月27日の事件では、高山や弟とともにスピリタスや床に敷くマットを車で運搬した。
・被害者女性を直接連れ出したのは小泉創一郎。
・関本雄貴は12人中4番目に被害者女性を姦淫した。
・その後、他の組織構成員に「ヤれるから行った方がいいよ」などと説いて回っていた。
・踊り場での輪姦には参加したがその後再度行われた事務所での輪姦には参加していない。
・その頃関本雄貴は何食わぬ顔で3次会(男2、女2)をしていた。
・和田らが逮捕された後は自分たちが逮捕されたくない一心で口裏あわせ等を行った。
・自分が逮捕されるまでの間、被害者の痛みについてはまったく考えなかった。
・更生後は自動車やバイクの整備工場で働くことを希望している。
・「今後このようなことをしないか」との弁護人の問いに「しないと思います」と返答。
・「しないと思います」ではなくきちんと決意しているのかと弁護人に問いただされていた。
(検察官による被告人質問・関本雄貴:兄)
・(月々5万円ずつ返済するとの返答に対して)サラ金の金を親に返済させる人間が、どうして600万円もの金をきちんと返せるのかと厳しい叱責を受けていた。※関本雄貴は遊興費のためにサラ金に多額の借金を負い、親に返済させていた。
・本当に反省しているのか、反省とはどういうことなのかと鋭い追及を受けていた。
・月々5万円ずつで600万円の返済にどれだけ時間がかかるのかとの問いに、「50年です」などと間の抜けた答えをしていた(600÷(5×12)=10)。
(弁護人による被告人質問・関本隆浩:弟)
・2002年4月に兄の雄貴に誘われ入会した。
・2002年5月の河口湖での新歓合宿で和田らの輪姦を目撃した。
・2002年6月に和田真一郎よりスタッフにならないかと打診された。
・隆浩は東京電機大学工学部二部(夜間)のため、一度はそれを断った。
・もっとも、結局、2002年12月にスタッフになることになった。
・当初は輪姦に反対していた。
・もっとも、それは被害者への思いやりからではなく、組織の集客力が鈍るのを嫌ってのものだった。
・しかし、結局、2003年4月27日の輪姦で初参加した。
・立件されなかった2003年5月15日の輪姦にも参加した。
・被害者女性を救うことよりも自身が組織から排除されることを恐れていた。
・とはいえ大学を自主退学し、真摯な反省の態度を示していることから、隆浩に接する裁判官の態度からするとその心証は悪くはないように思われた。
※次回公判では検察官が以下の点について追加の立証を行う。
・被害者女性の被告人らに対する処罰感情。
・被告人らがアルコール致死量についてどの程度認識していたか。
●第10回公判 2004年1月26日月曜日11:00(第528号法廷)
抽選なし(先着順・おそらく全員傍聴可)
以下のとおりだったとのこと。
・吉野豪洋の証拠調べ手続。
・吉野豪洋の父親も出廷。
・吉野豪洋は被告人質問で号泣していた。